アダルト・ヴァイオリン May the force be with you..

2009年2月7日

天平のころ

Filed under: 日記 — タグ: — い~ぐる @ 9:41 PM

東京の職場への往復で、↓の本を読破した。
平城京全史解読―正史・続日本紀が語る意外な史実 (学研新書)
い~ぐるは案外この時代が好きなのである。
い~ぐる家の家系帳がこの時代(藤原鎌足)から始まっていたことで、子供のころから、興味を持っていたのだ。
家系帳は、家系図と違い、巻物ではなく、綴になっていて、代々、追記されているものだ。それによると、い~ぐるで28代目になる(はず)。
「はず」と書いたのは、曾祖母が亡くなった時に、家系帳が行方不明になったからなのだ。父は実物を見ているが、い~ぐるは見ていないので、ほんとうに残念だ。
祖父が婿養子だったことと、祖母が早くに亡くなり、祖父は再婚したことなどから、曾祖母は、家系帳など、本家関連の品々を祖父に渡さず、自分で持ち歩いていたが、それが仇となった。
い~ぐる家は、なぜか、藤原の血を引くことを隠す必要があったらしく、家紋も、表紋と裏紋に分け、表には藤を使っていない。(裏は、五徳に下がり藤というものだ)
家系帳には、藤原からの系が書かれていたので、藤原を継ぐ血筋家系であること自体は明かにしているのだが、対外的に藤原との関係を謳うとまずい時代があったのだろう。
そんなこんなを予備知識として持って、この本を読むと、藤原氏が粛清の憂き目にあったりしているので、そういったことごとが何か関係していたのかも?と歴史探訪に想いを馳せる。
ところで、28代目などというと、さぞかし、立派な名家で、資産もありそうに思うやもしれないが、これが、歴史の中で、艱難辛苦を舐めたご先祖さまのおかげで、立派な貧乏家系となっているのだ(笑)。
直近の一番の問題は、明治維新である。
維新直前まで、い~ぐる家のご先祖さまは、徳川に仕える身であった。墓石には、千葉県知事なんてのも書いてあったりするので、維新後も、江戸周辺にいたらしいが、徳川慶喜の供で、明治に駿府に降りてきた所に、慶喜は家臣を捨てて、さっさと東京にもどってしまい、駿府に取り残されたのだ。
全財産を捨てて、居を移したところにリストラされるという、今の派遣切りのような待遇を受け、私設小学校を設立して、なんとか糊口をしのいだというご先祖さまはさぞ大変だったに違いない。
とまあ、話はずれたが、この本、なかなか読み応えがあった。続日本記は名前だけは学んだが、ここまで、細かく、日々の出来事が記録されているとは驚きだった。事実を記載している点で、資料価値は、日本書紀よりもずっと高い気がする。
しかし、仏教が「殺すべらず」といっているにもかかわず、出家していた、孝謙天皇が、抵抗勢力を次々殺しいていくのは、どうよ…

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