ブックオフで、モーツァルト・天才の秘密を購入して読んでいます。

モーツァルトがモーツァルトになっていく過程を音源を紹介しながら丁寧に解説していて面白いです。
天才は一日にしてならずですね。
この本の中で、政治学者の丸山真男がクラシック音楽研究に打ち込んでいたという話が出ていて、彼の音楽観を書いた本が紹介されていました。丸山は高校時代に結構読んだのですが、音楽との接点があったとは知りませんでした。早速、アマゾンで注文中。

追記:
丸山真男の所有していたスコアのほとんどには、びっしりと万年筆で書き込みがされていたそうだ。たとえば、ニーベルンクの指輪のスコア(約5千ページ)には、くまなく訳詞・注釈が加えられ、ワーグナーの用いた200に余る示導動機のスコア上での出現を分析し、台詞と楽器のフレーズを合わせてワーグナーが表したい感情表現を細かく追いかけ、楽曲分析をしていたということだ。スコアの分析だけでなく、ワーグナーの時代や彼の人生を含めて分析を行って、それらの分析の結果と指揮者の表現をつき合わせて音楽を鑑賞していたという。
ワーグナーに限らず、クラシック曲全般について同じようにスコアを元に詳しく分析を加えて、音楽史と世界史をあわせて考え、たとえば、ヒトラーの死の報道にワーグナーとブルックナーが流された必然を解説する丸山の音楽の聴き方は、ちょっとやそっとではまねできるものではないなぁ。
その彼が、「フルトヴェングラーのワルキューレは凄いね。ワーグナーの書いた譜面から、彼の意図するところを全部「音」にして表現している。歌手も全員彼の意を体して唄っています。」と言わしめたフルトヴェングラーを聴いてみたいけれど、スコアを分析してから聴かないと、丸山の言う凄さは分からないだろうね。
ちなみに、丸山が好きな曲にはワーグナーは入っていない。ニーベルンクの指輪は、心から尊敬する曲に入っているが、いつも聴きたい曲には入っていない。分析的に聴いて楽しむことと、楽曲として楽しむことは、彼にとっても必ずしも一致しないということか?