タイから人が来るときには、いろいろとお土産を持ってきてくれるので、今度、自分が行くときにも、何かしら持って行かないといけない。日本らしいもので、喜ばれるものといっても、なんだかピンとこないので、こういうのは難しい。
結局、買ってきたのは、こんなものども。
ヤマダ電機で買ったラジコンヘリ以外はダイソーで調達(^^;)。
この中で、特筆すべきは、写経用紙だろう。タイは仏教国である。きっと、喜ばれるに違いない(って、この漢字が読める人間がいるとは思えないが 笑)
写経用紙は、般若心経である。「色即是空空即是色」というあれである。
これを買ってきて、ふと、以前、買った「ブッダは何を教えたのか」の本を何度目かになるが、読み直す。
この本は、読むたびに「あ~そうだよな」と発見がある。(読むたびに忘れているという見方もあるが、中道の道には、忘れることも必要なのだよ ワトソン君)
仏典において、苦という言葉の、サンスクリットの原語には「苦しい」という意味はないのだという。これは、思うがままにならないことという意味だというのだ。
この世は空であるというブッダの悟りを、般若心経では、観音菩薩が「五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度した」と教えている。
いっさいの苦厄を度すために、思うがままにしたいという心の方を変えるべきだという意味なんだ。もちろん、これが完全にできるくらいなら、悟りを開いていると言える訳で、常人が簡単に到達できる境地ではないし、少なくとも、ブッダは、当初、その内容を人に教えることすら難しいと感じていた。
数ある仏教教典の中でも、一夜賢者の話は分かりやすいと思う。
一番大事なのは、「ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ たれか明日死のあることを知らんや」であると教えているのだ。
過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来たらざるを念うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ到らざるなり
されば、ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺ぐことなく、動ずることなく
そを見きわめ、そを実践すべし
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ
たれか明日死のあることを知らんや
まことに、かの死の大軍と
逢わずいうは、あることなし
よくかくのごとく見きわめたるものは
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん
かくのごときを、一夜賢者といい
また、心しずまれる者とはいうなり
(増谷文雄訳『阿含経典第五巻』)
2009年7月26日
タイへのお土産を買う
2 Comments »
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映画「カサブランカ」での有名な台詞を思い出しました。
「ゆうべどこにいたの?」
「そんなに昔のことは憶えてないね」
「今夜会ってくれる?」
「そんなに先のことはわからない」
こんなことを言ったら「アホッ」って足蹴にされそうだけど 仏教の教えに通じると言えますよね。
(って・・・言えないか・・・笑)
コメント by nori — 2009年7月27日 @ 5:24 PM
そうか、ボギーは仏教徒だったか・・(笑)
釈迦にしても、イエスにしても、本人たちは、死後の世界のことなど言っていないのに、後から、大げさな解釈が付いて回っているのが面白いですね~
コメント by い~ぐる — 2009年7月28日 @ 8:18 PM